いままで倉敷国際ホテルには何度となく足を運びました。
幼い頃からそばにあったけれど、その美しさに心踊るようになったのは大人になってからでした。
久しく泊まることがなかったのは身近すぎたせい。
およそ10年ぶりに倉敷国際ホテルの美を堪能する夜を過ごしました。
駅前通りを南に進み、美観地区入口を過ぎたところに美しいホテルが佇んでいます。
いつものように石段を数段、とととっ、と駆け上がります。
扉の向こうには北条貴子先生が描いた絵画が広がっています。
倉敷の地を潤す高梁川の水面を鮮やかに現す絵画は光に満ちています。
大原美術館とリンクするロビーにはそこはかとなく品が漂っているように思います。
北条先生の絵画を楽しんだのち、フロントに向かいチェックインを済ませます。
小さなフロントに懐かしさを感じるのは意図されたことです。
カードキーを導入せずキーボックスを残すことを選び、いまでも開業の日と同じように旅人を迎えています。
木と石の贅沢なフロントは経年により味わいを増し、鈍い輝きを返しています。
この日のお部屋は3階。
スイートルームの次に広いデラックスコーナーツインでおよそ10年ぶりの滞在を楽しみます。
お部屋に向かうときに迷わぬよう、クラシカルな書体の案内にしたがって進みます。
コーナーツインは廊下の突き当たり。
ドアノブの高さは倉敷国際ホテルの意思を感じる設計です。
この地に世界の人々が滞在できるホテルを作ろうと情熱を燃やした痕跡とでもいいましょうか。
ドアを開くと白い壁と木の調和した空間が現れます。
窓近くに飾られた絵の色調も抑制的でいて印象に残る選択がなされています。
贅沢な設えを排し、室内に柔らかな灯の広がりに任せて美しい空間を現出させる意図を感じます。
ベッドまわりも古めかしいけれど手入れが行き届き、古き良きホテルの風情を醸しています。
少し館内を眺めてみます。
宿泊すると棟方志功の大作を眼前に楽しむことができます。大原氏の依頼により制作された巨大な版画は迫り来るものがあります。
鉄とガラスで構成された扉のデザインも2階で見つけた秀でた意匠のひとつ。
開業時から変わらない気合いの入った設えは巨匠の版画に負けず、存在感を放ちます。
棟方志功の作品は裏側が通路となっており、そこに違う作品との出会いがあります。
可愛らしい作品が壁に埋め込まれて並んでいます。
秀作をちりばめた館内の贅沢さに気がつく人はあまり多くないのかもしれません。
夕食は馴染みの店でとることにして、ロビーに降ります。
エレベーターを降りて視線を少し上に遣ると素敵な細工を見つけました。
こうした細工は小さなものですが、空間に大切な変化をもたらしています。
フロントやロビー周辺の天井の造形にも手抜かりのない品位を感じます。
夕食のあと、ワインを楽しめるカジュアルな店に立ち寄り喉を潤します。
ナチュラルなワインを数多く揃えたこの店は、間違いのないワインを提供してくれます。
店主と他愛もない話が肴。
ワインのあと、夜の倉敷を散歩します。
ホテルまでの道のりを少し遠回りに変更し、誰もいない美観地区を歩きます。
倉敷は夜と早朝が美しいのです。
部屋に戻り温かいシャワーを浴びて、眠りに就きます。ベッドに横たわれば天井に灯りが映っています。
しばらく眺めたのち、部屋の灯を消して心地よい夢におちていきます。
目が覚めると少し曇り気味。
けれども南東向きのこの部屋は明るく感じられます。
まだ寝ていたいけれど、朝食をとるため洋服に着替えてレストランに向かうことにします。
館内にひとつだけのレストラン。
朝食はブッフェで提供されます。
地方都市のホテルらしい食事ですが、ほんとはこういう食事で充分なのかもしれません。
ホテルメイドのパンも楽しみながらゆっくりと時間が過ぎていきます。
食後のコーヒーを飲んだあと、10年ぶりの滞在の終わりまで部屋で過ごします。
ベッドに転がってみたり、椅子に腰掛けてみたり、窓の外を眺めてみたり。
まもなく美しいホテルを出発し日常に帰る時間です。
チェックアウトを終えて帰路につく前、ロビーに飾られた絵画や陶器を鑑賞します。
ここは倉敷でもっとも美しいホテルです。
和洋融合した設えと本物の芸術作品に彩られた幸運なホテルは、今日も柔らかく旅人を迎えています。
【滞在したホテル】