長い時間を過ごした10号車から降りて改札に向かう。
相変わらず人の多い構内を縫うように歩いて丸の内に出る。
もう少し行けば東京ステーションホテルの控えめな玄関に着く。
ほんの少しだけの雑踏体験もわたしには疲労に満ちたものだったが、この玄関の内側は別世界に逃避した感がある。
息苦しさとは無縁の空間で安息を感じつつチェックインを済ませ、ベルスタッフの案内で部屋へ上がることにした。
白いエレベーターホールには薄紅の花が活けてあり、無機質なマーブルの装飾に生気を与えている。
すぐにエレベーターが下りてきて、わたしたちは客室階に上がっていく。エレベーターが動いている間、ベルスタッフは微笑みを絶やさない。目的階への時間が長く感じるのは、ベルスタッフが異性だからかもしれない。このホテルの中で隔離された狭い空間に初対面の2人きり。心地よい緊張を帯びたエレベーターは静かに目的階で止まった。
エレベーターの扉が開くとやや黄色味を帯びた照明に包まれる。セキュリティの向こう側に進み、左に折れて少し歩くいたところがわたしのお部屋だった。
濃茶の扉にカードをかざすと、閉ざされた世界が解放されたように自然光がゆるやかに入り込む空間に出会う。設備の説明もほどほどにベルスタッフは懇ろに挨拶して持ち場にかえっていった。
部屋の隅にはソファとチェアが置いてあって、窓の向こうの景色を伺うことができる。
しかし、わたしはあまり外を見ない。このホテルではどうしても窓からの景色を楽しむ気持ちが抑制されるのだ。
これはわたしの思い込みであり、たいていの人は何ら気に留めないことが原因なのだけれど。
丸の内に横たわる東京駅の壮麗さは誰もが知るところで、復原工事によって得た往時の装飾は極めて精緻。東京ステーションホテルもこの駅舎内にあり、復元工事によって煌びやかなホテルとなった。
かつて丸の内の駅舎は莫大な予算が投じられて完成した東洋一の停車場だったけれど、戦争で焼け落ちてからは不格好な屋根を載せられて不本意そうであった。
この建物は一度破壊され美しさを欠いてしまったけれど、70年の時を経て復活を果たした。破壊されて朽ち果てるのではなく、特別な存在によって庇護されているかのように蘇ったのだ。
わたしはその特別な存在をいつもカーテンの向こう側に感じる。この窓の向こうには丸の内ビルディングがそびえており遠くを見通すことはできないけれど、向こうには緑に包まれた広大な場所がある。そこはかつての江戸城であり、今もって尊き存在が座す場所。
この国の新しい都に築かれる駅は特別な存在のための駅であり、この国を訪れる海外要人のための駅でなければならなかった。
御幸通りをいく車列を見返るたびに、この駅は特別なのだと思い知る。東京ステーションホテルの放つ非日常的な感覚は、おそらくこの建物の宿命によるのだ。
そのようなことを考えていくうちに、わたしはカーテンを開け放つのが憚られるような気がした。
レースを閉めたままにして、丸の内の向こう側を帳の奥とした。
高いビルの間から東京ステーションホテルに注ぐ夕陽はレース越しに揺れていた。
【舞台となったホテル】