列車は午後10時に東京駅を発った。
西日本に向かう新幹線はすでに最終列車が発った後。
夜の静寂に包まれかけた東京駅を離れていく列車は分岐を渡りながらフランジ音を響かせていた。
少し走ると車掌のアナウンスが流れる。
列車は寝台特急サンライズ号。
途中の停車駅をつらつらと、そして翌朝岡山駅で列車は切り離されると告げている。
車掌の長くて単調なアナウンスに飽きたころ、列車は品川駅を通過する。
少しずつ東京から離れていく列車の窓に、無数の街明かりが流れ去っていく。
「場内進行……出発、進行!」
運転士はおそらく暗い運転席で現示された信号を喚呼しながら列車を加速させている。
寝台特急はますます軽快に加速して東海道本線を駆けていく。
個室寝台に腰かけて、わたしは煙草に火をつけた。
煙はゆらっと顔に纏わり、浮かばず沈まず漂っていた。
時折窓の外に踏切の赤い点滅と警報が流れていく。
いくらか滲んだ明かりに見えたのは煙草の煙が目に染みたから…だったろうか。
あのころ、わたしはどうしても東京に長く留まっていたかった。
狭いB寝台に転がると、わたしはたいてい寂しさに任せて古い歌を口ずさんでいた。
少し切ないこの歌はいまでも好きだ。
「君が住む美し都」
「君が咲く花の都」
わたしは東京の街に幻想を見ていたのかもしれない。
何度か口ずさんでは煙草をふかし、気だるく漂う煙を見ていた。
わたしがそうやって遠ざかる都を回想している間、寝台列車は深い夜を走り続けていた。
列車は熱海を過ぎて沼津、富士、静岡の順に停車する。
車窓など期待するに及ばず、滔々たる闇の中に浮かぶ疎らな明かりが見えるだけだった。
熱海を発ってからは実に静かな時間が流れていた。
トンネルや橋脚を通過するたびに轟音が響くけれど、総じて控えめな車輪の音が反復するのみだった。
目をやると、遠くの明かりがのんびり流れていった。
それは波に浮きつ沈みつ、電気ウキが三つ、四つ。
二つ、三つ揺れているようだった。
列車が進むほど明かりは乏しくなり、乏しい明かりは一層わたしの興味をそそるものだった。
あの明かりの下にいる人々は一体どんな…と考えてみるだけだったけれど。
無為な想像を繰り返すうちに列車は橋梁に差し掛かった。
天竜川を渡る橋梁。
まもなく浜松か…。
すでに日付は変わり乗客の多くは眠っている。
列車は誰もいない静かなホームへ滑り込んだ。
白々とした蛍光灯の明かりに満ちたホームに人影はなく、ただ静寂が流れていた。
また列車が動き始めた。
西へ向かう列車はわたしを現実に連れ戻す。
わたしはこの緩やかなリセットが好きだった。
眠りに落ちるまでの時間は退屈だったけれど。
わたしはいつも煙の漂う寝台で、いつの間にか浅い眠りに落ちていた。