尊き諸仏が京の華やぎを知らぬ人々の祈りの対象となって久しい。
仏教公伝からしばらくして明日香から北に遷都を繰り返したのち、和銅3年に外京を備えた壮大な平城京が開かれることが宣旨された。諸仏の力で国を救おうとした帝の思いは当時の民にどう映ったのかはわからないけれど、いまなお平城京の跡に残る寺社は人々の祈りに満ちている。
青丹よし奈良の京は神仏の集まるところ、これからも祈りに満ちる京なるべし。
大和盆地にある京は来るものを拒まず去るものを追わない。来たければ自らまかりくるべし、と言わんばかりに奥まった風情がある。
かつての国都でありながら現代において新幹線も通っていないこの土地は隔絶された場所である。それゆえにここを訪れることは、その不便もあって悠久の京に上る喜びを感じることができる。わたしは奈良のそういう空気がたまらなく好きで、何度も訪れて緩やかな時間の流れを楽しんでいる。
わたしはいつも奈良ホテルに滞在する。奈良公園の南のあたり、旧大乗院庭園に接する丘の上に鴟尾を乗せた一見和風の建物が厳かである。漆喰壁に開いている窓は洋風で、寺院風の建物に似合うはずもないが不自然さを感じない。車寄せでベルスタッフが荷物を下ろしている間も、このホテルの異様な佇まいに見惚れてしまう。
ベルスタッフが荷物を下ろし終わったと告げてきた。
玄関前の階段を2歩、3歩と進んで扉が開く。
緋毛氈が敷き詰められたロビーは吹き抜けで、天井から重たげな灯明が下がっている。フロントの奥には相変わらず大きな時計があり、例の有名な暖炉の横にはわたし好みの日本画がかかっている。いつも通りのようすを眺めて安堵している間にチェックインは終わる。
ここでは夕食の時間まで無為に過ごすのがぜいたくでよい。
奈良公園あたりをユラユラと歩いて喫茶を楽しみ、また部屋で寛ぐのだ。空腹は最高の調味料と言ったりするけれど、奈良ホテルの名物タンシチューは空腹でなくても最高に美味である。
食事のあとは少し夜風にあたる。新館のバルコニーでも、暗い奈良公園でもよい。外京の夜は実に静かである。春日大社でも石灯籠を吹き抜けてきたであろう清新な風が頬に触れていった。
この心地よさを抱いたまま眠りについてもいいけれど、少し昼間の物思いに立ち返ろうと考えた。
本館の1階にバーがある。昼間は喫茶だった場所がバーになるのだ。不揃いなガラス戸を隔てて木立を望む。 しばしば鹿もやってくる。薄灯に照らされた席につき、カクテルを頼んだ。
もう一人は「星絆」を飲んでみたいらしい。
照らし出された緑が清かに揺れるのを眺めつつ、なぜ毎回奈良ホテルの姿に見惚れてしまうのかと思索に耽る。
考えるうちに奈良ホテルの近くには国立博物館があることを思い出した。そこでは正倉院展が開かれ、1300年前に渡来した舶来品やそれを模範として作られた品が宝物として展示される。わたしたちが見る正倉院の宝物はすべて古代の貴重な文物である。
カクテルの底に沈んだ角砂糖がゆらりと解けていくのが見える。
しばらくして「平城京の人にとってあの宝物はどう映っていたのか?」という疑問が浮かんだ。
正倉院の文物は当時も間違いなく貴重な宝物であっただろう。しかし、古い物ではなかったはずである。平城京はシルクロードの終点で、遥か西方の高度な文明から渡来した最先端の文化集積地であったに違いない。だとすれば、正倉院の宝物は平城京の人々にとってハイテクであり、羨望の対象であり、目標であったと考えるのが自然である。
もしかしたら、奈良ホテルや仏教美術資料研究センターもそうなのではないか。押し寄せる西洋文化の波に抗いつつ、その美を自らの体内に取り込んで独特の美を生んだように思えてならない。
大和盆地にひっそりと残った外京は、明治の到来とともに再びシルクロードの終点として躍動しはじめた。沈黙を守るように静かな京だけれど、実はいまでも強かに異文化を分析して融合を図っているに違いない。
外京の丘の上に佇むホテルは、青丹よし奈良の都の華やかな賓客の来る美術空間といえる。
ここは関西の迎賓館と称されるけれど、平城京の強かさに敬意を表して「外京の迎賓館」と呼ぶことにしよう。何層もの土のしたにある失われた平城京はいまでも新たな文化を生み出している。
そんな京の1300年にわたる静かな躍動に心を寄せていたいと思った。
ふと、ガラス戸の向こうに目をやると鹿がこちらを見ていた。オールドファッションの角砂糖はグラスの底にユラユラと揺れていた。星絆のグラスはとうに乾いていた。