カランコロン…
カランコロン…
牡丹灯籠という作品をご存じの方は多いだろう。
恋焦がれる女が幽霊となって男のもとを訪ねてくる怪談である。
牡丹灯籠の世界には純粋な愛情ではなく「死」と「エロス」が色濃く描かれている。
身分違いの男女が恋をする。
女は病で死んでしまう。
傷心の男のもとに、死んだはずの女が現れる。
夜になると女は灯籠を持った従者を連れてやってくるのだった。
かつて恋した女がもはや幽霊であると知りながら逢瀬を重ねる男。
やがて幽霊に憑り殺されてしまう。
その結末は気の毒に見えるだろう。
しかし、どうにも男が幸福のうちに死んだように思えてならない。
二人が美しい恋を遂げるには、女の幽霊に憑り殺されるという悲劇が必要であった。
男はそのことを理解していて、意図してあの世に連れていかれたのかもしれない。
男はそうやって自ら美しい恋を完成させたのである。
恐ろしく悲劇的な結末によって完成する美しい恋は、たまらなく心を締め付ける。
どこか倒錯した感覚が男を支配していて、それゆえに女の幽霊に憑り殺されるという悲劇すら幸福なだったのではないか。
男は悲しい結末を承知で逢瀬を重ねている。
美しい女は恐怖の対象である。
人を死の淵に追いやる存在なのだけれど、そこはかとなく美しい。
カランコロン…
カランコロン…
下駄を鳴らしながら従者と歩いてくる。
男はその下駄の音が待ち遠しかったに違いない。
ついに自分の命が奪われると悟ったときも、これでよいと満足したに違いない。
耽美の世界は「美しいこと」に至高の価値を見出す。
とにかく美しければよいのであって、他に何の価値もいらない。
では、「美」とは何なのだろうか。
美は単に煌びやかであるさまを指すものではない。
どんなに煌びやかでも、未来永劫の存在として不滅であったなら価値は失われるだろう。
美には意図しない悲劇的な結末が予定されている必要がある。
美が極めて不安定であることを理解して、わたしたちは「奇跡的に存在する美」を礼賛している。
滅びゆく運命を予感させるほどに、美は高まっていくのだと思う。
先ほどの牡丹灯籠。
この世界には悲劇が溢れている。
短編では若い男女の話が中心だけれど、長編では20年にわたる人間模様が描かれる。
いずれも「死」と「エロス」が溢れている。
美に耽るには「常なるもの」が不存在であることを認識しないといけない。
形あるもの全てに終焉は予定されている。
それらはわたしたちの知りえない恐ろしい終わりを迎えるかもしれないし、意外と当たり障りのない終わりを迎えるかもしれない。
「耽美な世界」では、どこか悲しく、どこか艶めかしい、どこか仄暗いことを期待する。
【耽美文集】では小さな作品を掲載していく。
観たままの美しさではなく、その背後にある美の源泉をイメージして書いたものを集めていきたい。
オシャレな世界ではなく、美を至高とする耽美な世界がここに積み重なることを期待してやまない。